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大切な相棒……老犬との愛しい最期のひととき

【老犬と暮らす】人は何故犬と暮らすのか

※犬とは関係のない事のように感じますが、世の中の多くの犬や犬と暮らす人々が、少しでも幸福になる事を願って今回の記事を書きます。

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人間はどんな動物よりも、仲間に協力的で、子育てさえも群れというコミュニティでなされて来ました。
だからあらゆる動物の中でも一際成功し、進化し、より大きな群れを作り、社会というものを作り上げることができたのです。
ところがどうでしょう。
今の世の中は個人を大切にするという名目の元、自分の気に入らない事やモノには平気で拒否反応を示し、自分の直接の利益にならない事には一切の協力をしないことが当たり前のようになりました。
当たり前というより、すでに正しきことのように議論されています。
自分の家の近所に保育園を作ることを反対し、バスの中で泣く子供に舌打ちをするような社会です。
ご近所の精一杯の配慮を留意することなく、自分の利益だけを相手に押し付ける社会です。
学もあり、社会的な地位のある程度高い人たちが、まるで自分たちを正当化するように、個人だけの利益を追い求めることを正義として語ります。
利益というのは、お金の事だけではありません。
人間は自分たちを発展させた大切な能力を忘れ、退化としか言いようのない道を進んでいるように思えてなりません。
我々は少し自分たちがどこから来たのかを考え直す必要があると思います。

 

豊かであるのに幸福でないのは何故か

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人間は群れというコミュニティの中で、それぞれの役割を担い、協力して生き延びて来ました。
それは、鋭いキバを持たず、硬い皮膚も持たない人間にとってはとても強力な武器でした。
健全で発展性のあるコミュニティを築く場合に、唯一絶対に必要になる能力は「分け与える事で生まれる幸福感」でした。
人間はこの能力を持っているために、どんな動物よりも優れたコミュニティを作ることができ、協力という基本的な行動が取れたために、より豊かで安全な群れを築くことができました。
この幸福感は、先日テレビで放送されていたように、今では科学的な根拠や裏付けをもって語られています。
図らずも、テレビで放映されていたのは、「人は何故ペットを飼うのか」というテーマでした。
現在の人間社会では豊かになっても不幸だと感じる人や、人よりも色々なモノを得ても理想の幸福感が得られないという人で溢れ返っています。
豊かな社会であればあるほど、幸福度が下がっているようです。
それは何故か。
「分け与える喜び」という人間が本能的に求める幸福感が満ちていないからです。
朝の通勤で、愚図る子供を宥めるお母さんに、少しの間の静かな自分の時間を分け与えること。
自分の脳みその中にある素敵な風景をみなさんにエンタメとして分け与えること。
自分の得て来た利益を他人に分け与える喜びを、経験しない人のなんと多いことか。
眉間に皺を寄せて、ぎゃんぎゃん文句を言う人たちは果たして幸せなのでしょうか。

民度の高い人たちは動きはじめています

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しかし、社会的に大成功を収めているような人たちは、分け与える喜びを知っています。
経済的に余裕があるからではなく、時間や気持ちや自分の労力を他の人に分け与える喜びを優先して来たからこそ、経済的な余裕も生まれたのです
経済的な余裕がさほどない人でも、自分の時間や労力や気持ちを分け与えている人は、それらを奪って暮らしている人よりもよほど幸福にみえます。
我々、人間の中にプログラミングされた、「分け与える喜び」を満足させられているからです。
こう考えると、偽善という言葉がなんとも的外れなことに気づきます。
分け与える喜びという本能を満足させるため、つまり、自分が幸福感を得るために、人は相手に分け与えるのです。
つまり、それは最終的な自分の利益なのです。
ここ最近では、ある程度民度の高い人たちの中には、この分け与える喜びを満足させようと動いている人たちが増えているようです。
そこに幸せがあるからです。
人間の優れた能力は退化させるべきではありません。

犬は忘れていません

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犬も群れで暮らす動物です。
もちろん、分け与える喜びを知っています。
そして、人間と暮らしはじめてから、犬のほうは、その「分け与える喜び」というのが強化されたように思えます。
犬はその気になれば私たち人間を死に至らしめる力を持っています。
それでも、多くの犬たちはそれを使いません。
また、盲導犬の寿命は、一般の犬より長いそうです。
私はその要因は、気を張って仕事をするストレスよりも、自分の力を人間に分け与える喜びの方が優っているからだと考えています。
太古、人間が犬に食料を分け与え、犬は人間に自分の力を分け与えた。
犬はそれを忘れていません。
そこにあったのは打算ではなく、お互いに「分け与える喜び」を満足させるという共通の目的があったのではないかと思います。
犬はそれを忘れていません。

犬と暮らす人が幸せを感じる理由

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海外の研究では、成功した人の中でも、「自分は成功した」と感じる人の中には、ペットを飼う人の割合が高いと出ています。
これは、個人主義の思想や、豊かさという利益を追求する方向に舵を切ってしまった人間社会において、ペットが、圧倒的に「分け与える喜び」を満足させられる存在だからなのでしょう。
そして、いっしょに暮らす喜びをペットから分け与えられているのです。
犬は、人間社会の事を学び、自分の犬生を無条件に人間に分け与えます
そして、お互いに「分け与える喜び」を満足させているのです。
犬と暮らすということは、群れというコミュニティで生きる動物の健全で正しいあり方であり、そのコミュニティの方向が捻じ曲がってしまった人間社会を僅かに正してくれる小さな抵抗なのかもしれません。

人間が犬を飼うのは「かわいいから」なのか

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以上のように、人間が犬と暮らす正しき理由は、「分け与える喜び」を満足させるためです。
もちろん、一部ファッションや癒しというなんとも現代的な自己利益のために飼う人もいるでしょう。
しかし、そういう人は犬と暮らす喜びの半分も得られず、損をするだけです。
本当に幸せに最後まで犬を友と呼べる人は、分け与えるということがなんとも言えない充実感と幸福感を与えることを知っています。
だから、老犬と暮らす人々が、介護の大変さをおしてあまりある幸福を口にするのです。
人間は、「分け与える喜びを感じる本能」を退化させず、鍛え直していくことが必要だと思います。
それが人間社会にも幸福を生み、犬たちも幸せになれると私は信じています。

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