まぐログ!シニア

現在18歳、ご老体ながらに元気に過ごすミックス犬まぐろさんとの生活を通して、老犬との付き合い方、老犬の健康管理などを勉強し、犬の世界の高齢化を幸せに乗り切ろうという記録です。

愛犬とできるだけ長く居たいというのはワガママなのか

老犬と暮らす人ならば、誰しもが毎日意識するのは、"死"というものです。
老犬と暮らしていると穏やかな時間の隙間にじわじわと落ちて来て、水の中に落としたインクのように広がるその得体の知れない恐怖を一度は経験した事があるでしょう。
それは、夕暮れ時の暗闇のように、それと意識する間もなく穏やかな日常に広がって、やがて真っ暗に自分と老犬を包み込みます。
明るく指す陽射しに、普段は意識することもないその"死"という暗闇は、それでも確実にそこにあります。
老犬との暮らしはその暗闇を少しでも遠くに追いやるという暮らしでもあります。 しかし、その思いは全ての人に共通ではありません。 これは、相手が人間でも同じことで、自己を中心に置いた場合、その死というものに抗う人と、委ねる人が出てきます。 さて、犬の場合はどうでしょうか? 私ができるだけ長く生きて欲しいと願っているまぐろさんは、私と同じように、少しでも長く生きたいと思っているのでしょうか。

犬の平均寿命ってなんだ?

犬の平均寿命は伸びた!と、最近では言われています。
では平均寿命ってなんでしょう?
そこまで生きれれば本望!という年齢のことなのでしょうか。
老犬と暮らす人が言われて傷つく言葉の中に、この平均寿命を匂わせる言葉が多々あります。
「まだ生きてたの、長生きだね」
「もう充分に生きたから、何があっても仕方ないね」
などという言葉は、老犬介護をする人の心をとても傷つけるNGワードです。
どちらも、言う方からしてみれば、同情から生まれる思い遣りの言葉なので、厄介です。
老犬と暮らす人は、少なからず、思考の中心に愛犬を据えてしまいます。
けれども、言葉をかける側は、あくまで飼い主さんを中心に据えてしまいます。
言葉をかける人はあくまで飼い主さんの事を思いやっての言葉なのです。
けれども飼い主さんはいつも愛犬が少しでも長く元気であって欲しいと願っているのです。
このすれ違いは、飼い主さんの心を傷つけてしまうことが多くあります。
このすれ違いの原因のひとつに、平均寿命という認識があります。
では、平均寿命とはなんなのでしょうか。
すごく簡単な考え方は、「平安時代ならとても長生きで大往生だったね」と、60代で亡くなった人間に現代で言うでしょうか?
犬の平均寿命というものは確実に伸びて居ますし、人間の平均寿命も驚くほど伸びています。
平均寿命というのはあくまでも心の準備をするための目安であり、伸びもすれば、短くもなるのです。
そこにあるのは、「幸せに生きたか?」ということだけです。
長く生きたか短く生きたかというのが重要なのではなく、「幸せに生きたか」という方がもっともっと重要です。

心の拠り所

ちゃんと愛犬と向き合い犬と暮らす人は、多かれ少なかれ、愛犬の存在を心の拠り所にしています。
それが正しいとか正しくないとか、そんな事は関係ありません。
愛犬をパートナーとして覚悟を持って迎え入れた人は、その愛犬をパートナーとして心の拠り所にしています。
生き生きと暮らせるその中心にはいつも愛犬が居て、毎日を明るく照らしてくれます。
愛犬の死というのは、その大切な糧を失ってしまうということです。
ですから、犬と暮らす人が、愛犬を失ったことにより、激しく落ち込み、生きるための光を暗くしたからと言ってそれは当たり前のことです。
ペットロスという言葉がありますが、私はこの言葉自体があまり好きではありません。
その言葉を使う人たちは、まるで心の病気のようにその言葉を使うからです。
愛犬を失って感じる膨大な喪失感や無気力さは、心の病だから感じるものではありません。
人間として当たり前の心の動きです。
家族を亡くした方々が落ち込んでいる時に、かける言葉と同じもの、同じ態度で接してあげるべきです。
家族を亡くした方が落ち込んでしまうのは、人間として、当たり前の気持ちの動きなのですから。
そしてどんな言葉も、一時の慰めにしかなりません。
愛犬と飼い主さんの絆が強ければ強いほど、愛犬を失った喪失感というものは、時間という神様の用意する薬でしか穴埋めできないからです。

傍に居て欲しいのは自分なのか愛犬なのか

私は時々考えます。
もちろん、人間社会では、まぐろさんは母ちゃんが居ないと生きていけません。
老犬になってからはもっとそうです。
ちょっと目を離すと立とうとしてあちこちぶつけたり、床擦れを作ったりします。
いつもより長い時間お留守番させた時はオムツは大変なことになっています。
母ちゃんは、外に出れば友達も上司も、親戚も居ますけれど、まぐろさんには母ちゃんしか居ません。
母ちゃんが外出から帰って来たら、生き返ったように喜び、顔を輝かせます。
まぐろさんからは、間違いなく、傍にいて欲しいという感情が溢れ返っています。
では、母ちゃんはどうでしょうか。
もちろん、傍に居て欲しいと切に願っています。
いつまでもいつまでも傍に居て欲しいと思っています。
私とまぐろさんでは、どちらがよりお互いを求めているのでしょうか。
本当に相手のことを必要としているのは、母ちゃんの方ではないかと。
愛犬が亡くなったことを考えたい人は居ないと思いますが、もしも、まぐろさんが亡くなったらと考えただけで、母ちゃんは混乱するのです。

死生観とは

どういう死に方をしたいのかということを考えるのは人間だけだと思います。
どういう風に生き、どういう風に死ぬのかということは、人間にとってはとても大切なことでしょう。
犬は、死生観というものを持っているとは思えません。
毎日を一生懸命に生きているだけです。
どういう風に生き、どういう風に死ぬのかは、飼い主さんに委ねられます。
犬の生き方は、完全に飼い主さん次第なのです。
犬は全てを飼い主さんに任せるしかありません。
大切な愛犬のために、飼い主さんは道を示す必要があります。
その時に、後悔のない選択ができるように、普段からしっかりとした死生観を持っておきたいものですね。 これは、なかなかに難しいことだと思いますが。

できることを全てやったと思うこと

今まで飼い犬を看取って来て、思うことは、自分の愛する犬の死の間際において一番大切なことは、飼い主さんが後悔をしないことだと思います。 後悔しないためにやることは、自分が愛犬にしてあげられることは、精一杯全てやったというまでやるということです。 犬との時間は思うよりも短いものです。 後悔のない時間が過ごせますように。

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