まぐログ!全力犬暮らし

大切な相棒……老犬との愛しい最期のひととき

【QOL】我が家の老犬との最後の一週間は老犬のくれたプレゼントなのかもしれない

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先先代のうちの犬のリリー(通称、りり子)は誇り高いイングリッシュポインターでした。

彼女とのお別れはかなりはっきりと覚えています。
そしてまぐろさんとのお別れの時、真っ先に思い浮かんだのがりり子とのお別れの瞬間でした。

 

彼女はイングリッシュポインターという少し大型の犬種で実猟犬として山を走っていたにも関わらず、20年生きました。
先代のまぐろが来るまでは、10代という高齢にも関わらず、うちの父といっしょに毎週山に入っていました。
実質、父の育てた犬で、私の相棒ではありませんでしたが、家族という意味では一番長くいっしょに居た犬でした。

さすがに山に入るのは辛いだろうと、父は跡継ぎに先代のまぐろさんを連れて来ました。

今となってはなんとも言えませんが、りり子はまぐろさんが来てから急激に老いをみせるようになったように思います。
父の相棒としての役目を終えて安心したのか、それとも父と山に入ることが楽しみであったからこそ老いが急に来たのかはわかりません。

猟期でない時期には、まぐろさんとりり子といっしょに仲良く河原で訓練をしたり、散歩をしたりしていましたが、りり子は少しずつ、走るスピードが遅くなり、運動量も減っていきました。

それでも穏やかに日々を過ごしたように記憶しています。

やがて、りり子は座れなくなりました。
立てないのではなく、座れないのです。
正確に言うと、座ろうとすると腰が痛むのです。
横になるためには当然座らないといけません。
横になっている時と立っている時は比較的楽なようでしたが、横になって座る体勢がとれないので、横になりたい時に鳴きます。
一日中立って疲れてしまい、鳴きながら座ることもしばしばありました。
腰を摩りながら座らせてやると痛みが和らぐようでした。

そこで母ちゃんは、りり子が横になりたい時に腰を摩りながら座らせてやるという対処をとりました。
病院では軟骨が磨り減ってしまい、痛むのだろうという診断で痛み止めが処方されて終わりでした。
20歳になる大きな老犬です。
当然そのような処置になるでしょう。

立った体勢から腰を摩りながら座らせてやり、横にならせるという事を繰り返すのですが、犬ですので、気になる事があれば立ち上がってしまいます。
立ち上がる時は痛くはないようで、それでまた、座れなくなって鳴くのです。
そしてまた母ちゃんが腰を摩り座らせます。

そのうち、昼夜を問わなくなりました。
母ちゃんはそれでも寝ずに繰り返しました。

うちの父が、「これでは姉ちゃんが倒れてしまう」と言い始めた時でした。

りり子は立たなくなりました。
穏やかに横になり、表情も穏やかになりました。
立てなくなったというより、立たなくなったという方が正しいでしょう。
そして、ごはんを拒否するようになりました。
無理矢理食べさせようとすると、穏やかだった表情が一変し、全力で拒否します。
その姿を見て、父が言いました。

「りり子はもういいよって言っている。無理矢理食べさせるのはやめよう」

まだ未熟だった母ちゃんは、それはごはんを食べるのを「もういいよ」って言ってるのだと思っていましたが、今考えると、父が言いたかったのは、「充分生きたからもういいよ」って事だったのかもしれません。

やがて一週間で水を拒否するようになり、それでも鳴きも吠えもせず、穏やかに穏やかに、りり子は旅立ちました。

りり子が息をしなくなる直前、大きく息を吐いたのですが、母ちゃんは聞こえた気がするのです。

「ありがとう、もういいよ」

りり子は父の犬でしたので、最後まで父をみつめていました。
息をしなくなったのも、父が仕事を終えてりり子のもとに来て顔を見てからでした。

父はりり子が天寿を全うしたと受け止めていました。
父とりり子はとても潔く高潔にお別れをしたように母ちゃんには見えました。

母ちゃんはまぐろさんとお別れする時、父ほど強くはなれませんでした。

まだ逝かないでもう少し傍にいて。

まぐろさんは、母ちゃんに一週間の猶予をくれたのかもしれません。
もうダメかもしれないと思ってから一週間、まぐろさんは食事介助でしっかりごはんを食べ、水を飲みました。

まぐろさんがごはんを拒否したのは実質最後の二回です。

母ちゃんが「ありがとう」が言えるまで、頑張って生きようとしてくれたのだと思います。

次にまぐろさんと巡り会えた時、母ちゃんはもっとうまくやるよ。
まぐろさんがまぐろさんのタイミングで生を全うすることができるように。