まぐログ!全力犬暮らし

大切な相棒……老犬との愛しい最期のひととき

【犬と暮らす】犬を犬として愛するということ

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我が家の娘はたまたま人間ではありませんでした。

そう、「人間」ではないのです。
犬は犬として家族です。
まぐろさんが犬だからと言って家族としての差別はあってはなりません。
しかしです。
だからと言って、まぐろさんは「犬」なので「人間」として大切にするのはまぐろさんという生き物の在り方を否定してしまう事になると考えるのです。

まぐろさんがゲンコツボーンや豚の耳をバリバリ食べる時、母ちゃんはいつもまぐろさんに感謝していました。

国産牛アキレス付ゲンコツ 1本

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まぐろさんはいつでも母ちゃんの骨をバリバリ噛み砕く鋭い歯を持っています。
母ちゃんの皮膚を容易に切り裂く武器を持っています。
それでもまぐろさんはそうしませんでした。
まぐろさんは、母ちゃんの皮膚がとても薄く、母ちゃんの身体がとても脆い事を知っていました。
母ちゃんは鋭い牙を持っていません。
それは母ちゃんが人間だからです。

まぐろさんは母ちゃんが豚であろうがミミズクであろうが、関係なかったと思います。

母ちゃんは母ちゃんだから愛してくれたのです。

そして、母ちゃんが「人間」だから、母ちゃんの生きる社会に合わせるために必死になって色々な事を覚えてくれたのです。

トイレは決まった場所でする事。
母ちゃん以外の人間にも優しくする事。
無闇に吠えたり唸ったりしない事。
物を壊したりしない事。
行きたい所へ行く時は必ず母ちゃんと一緒に行く事。
お風呂に入る事。
定期的に爪切りをする事。
換毛期にはブラッシングをする事。
毛が散ってはいけない所に行くにはお洋服を着る事。

まぐろさんは「犬」で、これらの事は人間社会で生きて行くための「人間」のルールでした。

「犬」を「犬」として考えないでこれらの事を教えるのは大変難しいと思います。

だって「犬」だから。

母ちゃんの愛した大事な大事な娘は「犬」だから。

 

まぐろさんにとって母ちゃんが「犬」だろうが「人間」だろうが「ミミズク」だろうが関係ないように、母ちゃんも、まぐろさんが「犬」だろうが「人間」だろうが「ネズミ」だろうが関係ありません。

まぐろさんを「家族」として愛したのです。

しかし、まぐろさんは「犬」です。
この事実は曲げられません。
まぐろさんが「犬」だから愛したのではなく、愛したまぐろさんがたまたま「犬」だったのです。

だから、母ちゃんはまぐろさんが「犬」であるという事も込みで愛していました。
まぐろさんが母ちゃんのために「人間社会のルール」を勉強してくれたように、母ちゃんも「犬」の事を知ろうとしました。

そうすると、まぐろさんへの感謝は増えます。

まぐろさんが覚えないといけなかった人間社会のルールの前に「犬なのに」が付く事に気付くからです。

まぐろさんが「犬なのに」トイレをペットシーツでしてくれたことも、「犬なのに」無闇に吠えなかったのも、「犬なのに」爪切りをさせてくれたのも、全部全部、「人間」である母ちゃんのためでした。

まぐろさんは「犬なのに」しっかりと「人間」である母ちゃんの「家族」であるための努力をしてくれました。

そして母ちゃんはそのおかげで、かけがえのない相棒と家族として暮らし、看取ってあげることができたのです。

犬を犬として知り、家族として共に生きるために問題行動と言われているものが何故起こるのかという事を必死で考えることが、犬を飼う人間にとって必要な事ではないという理由は全く見つかりません。

思考停止して言われた事に疑問を持たず、古いやり方や人に言われた事を鵜呑みにして犬との関係を崩すような事はあってはならないと、まぐろさんが教えてくれました。

犬は家族である前に犬です。
この事実は曲げられません。

大好きな犬のことをもっと知りたいと思うことは自然な事です。
大好きなものや大好きなヒトのことはもっと知りたいと思いませんか?