日常を過ごしていると、私たちは、時間が流れている事をあまり気にすることがありません。
もちろん人間は、時間というものを意識して過ごしているのですが、それは人間が決めた計測できる時間であり、カップラーメンを作る時間であったり、お仕事が終わる時間であったりです。
しかし、それよりももっと大きな抗えぬ流れが我々の上をゆっくりと流れており、それは一方通行で、取り返す事はできません。
老犬介護をしていると、この大いなる時間の流れをはっきりと自分の中に捕まえる瞬間が何度も訪れます。
その流れは気の遠くなるような大きな流れですが、我々はその流れの中で有限です。
で、あるからこそ、その有限な時間を必死に生き、やがて終わる時に後悔の無いようにしなければなりません。
それを教えてくれたのも犬たちでした。
今この一瞬は二度と訪れることは無いのです。
桜の花は一年に一度しか咲かない
「後何回、桜が見れるのか」
私の最も信頼する方が70歳を迎えた時に呟いた言葉です。
その時、私ははたと気づきました。
まぐろさんと桜を後何回見れるんだろうか。
犬の一年は人間よりも高速で過ぎ去ります。
桜の花を観るのが待ち遠しいという感覚は小型犬であれば我々がオリンピックを観るのと同じ。大型犬であればその倍なのです。
桜の花は桜が絶滅しない限りは毎年咲きます。
けれども咲くのは一年に一度です。
一回でも多く、桜の花をいっしょに観よう!
それが、私とまぐろさんの間に結ばれた希望という名前の約束になりました。
今年は隣にまぐろさんがいません。
それでも、私が毎年まぐろさんと近所の公園で桜を観るのを楽しみにしていることを知っているご近所さんが教えてくれました。
「桜、咲いてるよ」
まぐろさんが居なくなってから、私はほとんどその公園の中に入ることが無くなっています。
それでも、桜が咲いてると聞いて、雨が降っている中、傘をさして公園に行きました。
なぜでしょうか。
まぐろさんの身体はそこにないのに、私はまぐろさんとの約束を果たしたい欲求を抑えられませんでした。
そして、桜は思った通り、やはり優しく、まぐろさんと母ちゃんの思い出を包んで守ってくれていました。
宴会もしません。
みんなでワイワイもしません。
ただ、通り過ぎる際に立ち止まって桜を見上げ、写真を撮るだけです、
それでも、私にとってはとても大切な行事なのかもしれません。
時間は巻き戻せないから
残念ながら過ぎた時間を巻き戻す事はできません。
母ちゃんの「もう一度、まぐろさんに会いたい」という気持ちは、あのまぐろさんの姿でというのは現実には、もう二度と叶うことはないでしょう。
それでも、まぐろさんはいつも傍にいて、いつかまた違う姿ででも母ちゃんに会いに来てくれると信じることができます。
それは、いつも巻き戻せない時間を意識し、巻き戻せないのだから、過ぎた時間を後悔するのではなく、失敗を取り戻しながら、まぐろさんとのお別れを理想のものにしようと足掻いて来たからです。
そして、この経験は、母ちゃんの生活のあちこちに根付いていて、自分がこの世を去る時に理想のカタチで去ることができるように日々を大切に生きられます。
まぐろさんの教えてくれたこの生き方は、本当に母ちゃんに笑顔を与えてくれます。
まぐろさんは母ちゃんの笑顔が大好きでしたので、母ちゃんはこれからも笑っていこうとおもいます。