感情が犬にあるというのは、すでに色々なところで言われているので、浸透していることだと思います。
けれど、「心」が犬には無いと思っている人や普段、犬の「心」を意識できない人が多いように思います。
そもそも、「心」と「感情」というのは、どう違うのでしょうか?
心と感情の違い
「心」と「感情」が違うものだというのは、我々はなんとなく感じています。
大きく括れば、「気持ち」というものになるなだと思いますが、「心」と「感情」は微妙にニュアンスが違います。
日々の生活の中で、「心」と「感情」が違うということを感じるような経験は、よくあることかと思います。
私は、「感情を制御したり増幅させたりするもの」が、「心」だと思っています。
例えば、宿題をしなければならない時、「イヤ」というのが感情です。
「心」はもっと複雑なもので、「イヤ」という問題に対して、色々な理由をつけて、やったりやらなかったりする時の気持ちが「心」なのではないでしょうか。
「頑張ろう!」は「心」です。
「嬉しい!」は「感情」です。
人間は明らかに「心」を持っています。
では、我々は犬に「心」があるという前提で犬と付き合っているのでしょうか?
人間社会の都合に、犬に合わせて付き合ってもらわないといけない限り、犬の「心」をきちんとしって、思いやって生きていかなければならないと思うのは、極端で間違った考え方でしょうか?
犬は我慢する生き物
犬はとても我慢強い生き物です。
マテと言われたら、ヨダレをだあーだあー流しながら待ちます。
お留守番してと言われたら、辛抱強く、大好きな飼い主さんの帰りを待ちます。
私は、「心」の一番わかりやすいものが、「我慢」だと思います。
「我慢している」というのは、行動ではなく、「気持ち」です。
目の前にオヤツがあって、食べたいと思うことが、感情です。
その感情を抑える気持ち「心」が、我慢です。
我慢が効かないという状態を我々は、野蛮だとか表現します。
つまり、「心」は高度な知識がないと持てないという認識なわけです。
犬はどうでしょうか。
目の前のオヤツをマテと言われて待つ時、お留守番で不安を感じながら大人しく飼い主さんを待つ時。
犬は我慢しているのではないですか?
そして、人間にも我慢強い人、辛抱強くない人がいるのだから、犬にもそれがあって当然だと思いませんか?
子供に耳を引っ張られている時、しつこく女子高生に触られている時、よくわからないことで怒られ続けている時、嫌いなお風呂に入らないといけない時。
犬は我慢しているのではないですか?
我慢しているというサイン
「心」があるということは、我々は知的生命体だと判断します。
犬に「心」があるのなら犬は知的ということになります。
そんな知的な犬ですが、大きな誤解を受ける要因は、言葉が喋れないということから起こるものです。
犬は、我々人間に色々なサインで、自分の意思を伝えてきます。
「我慢しているよ」
というのも、観察をすれば、すぐに意思表示をしていることがわかります。
こればかりは、人間の世界でさえ、とても難しい問題なので、なかなかマニュアル通りにはいかないものです。
もちろん、その指針はあります。
唸る、吠える、噛む
です。
本当は、唸る前にその「我慢」を察知してあげることが大切なのです。
唸る、吠えるをしない子も、たくさん居ます。
人間には突然のことのように感じるかもしれません。
唸る吠えるをせずに、突然噛み付く子を人間は堪え性がないととらえますが、ほとんどの場合、その前に、表情だったり、態度だったりで「我慢しているよ!」というのをこちらに伝えているのです。
それをしっかりこちらが把握してあげないと、最後の防衛手段「噛む」に到達するのは当然のことと言えます。
犬は、犬であって人間ではありません。
最初からいきなり噛み付くなんていう犬はなかなか居ません。
実は、野生動物は獲物を狙う時以外で、いきなり襲いかかるなんてのはほとんどなくて、大小の差はあれど、必ず警告を発します。
犬は獲物を狩る必要がありません。
人間に襲いかかるとすれば、過度なストレスがかかった時です。
堪忍袋の緒がきれる
過度のストレスがかかり、堪忍袋の緒が切れた場合、人間ならどうなるでしょうか。
犬は人間のような言葉を持ちません。
けれど、過度なストレスから逃れるための自己防衛機能は持っています。
犬が噛むというのは、最後の警告を無視した最終手段です。
人間より我慢強いかもしれません。
けれど、1度人間に裏切られた犬はどうでしょう。
その犬をまた裏切って暴力で矯正することが、果たして正しいことなのでしょうか?
犬の「こころ」
犬はずーっと人間社会に合わせて生きて来てくれました。
ここは人間社会です。
当然といえば当然のことです。
けれど、それに甘えていませんか?
ホントに犬の事を考えていますか?
犬の気持ちというより、犬の「こころ」を知ることを一生懸命やっていますか?