まぐログ!全力犬暮らし

大切な相棒……老犬との愛しい最期のひととき

老犬介護と「こころ」〜敵意帰属バイアス〜

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『たかが犬』

周囲の言葉がそういう風に聞こえた事がありませんか?

私はありました。

しかも、幾度もです。

赤の他人から言われた言葉であれば、まだどこか自分の中で消化することはできるけれども、家族などのとても親しい間柄や心から信頼している人たちからの言葉だと、自分の中で腑に落ちず、とても傷つけられる言葉です。

直接、「たかが犬」と言われたわけではないのに、ある時、周囲の愛犬に対する表現が、「たかが犬」という風に聞こえることは往々にしてあることです。

犬を人生の相棒として持った経験のある人ほど、この言葉に苦しむ人が多い事と思います。

埋められない大きな溝。

愛犬に対する温度差。

周囲からかけられる言葉が全て敵意を持って聞こえるのです。

特に老犬介護をしているとそういった事に心を砕いてしまう事が多くあります。

「かわいそう」

「もう充分に生きた」

そう言われるたびに砕かれた心は鋭くなってしまいます。

自分が犬に対して抱いている感覚と周囲の感覚の剥離は、自分の相棒との絆が深ければ深いほど大きな距離に感じます。

経験上、この距離感は縮まる事はあっても、周囲に感じる溝は埋まる事はありません。

それでも我々人間は、人間社会の中で生きていかねばなりません。

そしてそれは、私たちの大切な相棒である犬たちに、人間社会で幸せに生きて貰うために必要な事なのです。

残念ながら周りを変える事はとても難しい。

けれども、考え方ひとつで、自分の気持ちに整理はつきます。

少なくとも、私はそうでした。

犬は、飼い主さんの幸せを切に願う生き物です。

ですから、私たち犬と共に生きることを選択した人間は、大好きな犬と共に人間社会でいかに幸せに暮らすかを考え抜かねばなりません。

共感を求めない事

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我々人間は、何故だか人に『共感』を求めたがります。

「そうそう!その通り!」

と、言われると少し心が軽くなるのです。

これは長年培われて来たコミュニティを守るための本能なのでしょう。

しかし、人間は一人一人違う生き物で、それこそ育った環境や宗教が違い、時代背景や場所によって正義も変わります。

犬に対する考えや気持ちだって同じで、世の中全ての人が、犬の事を大好きなわけではありません。

「そうそうその通り!」という人同士は集まり易いので、我々犬と暮らす人たちは、みんな犬が大好きだと錯覚しやすいのですが、実はそうではありません。

犬が苦手な人も世の中にはたくさんいて、そういう人たちにとっては、犬との暮らしに幸せを感じる人の気持ちなど、これっぽっちもわかりません。

だからといって、犬を好きになって貰おうと躍起になるのは逆効果です。

そういう人達に、「そうそうその通り!」と思って貰う事はできません。

そういう人も居るんだなと納得する事で少し心が軽くなることは多々あります。

あまりに共感を求め過ぎると疑心暗鬼になります。

あの人と私は考えや思いが違うんだなと自分を納得させる事で、傷つく事も少し減るかもしれません。

敵意帰属バイアスという心理傾向を知る

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どうやら我々人間の心は、自分が思うよりも自分自身でうまくコントロールできないようです。

自分と同じように老犬介護をしている人が困っていると、心配になり、ついついアドバイスをしてしまいがちですが、そんな時、物凄い剣幕で怒られる事があります。

こちらは攻撃するつもりなどなく、応援のつもりで言った言葉を、敵意いっぱいで発したと捉えられてしまうのです。

これはもちろん逆も然りで、相手が応援のつもりでかけてくれた言葉を、嫌味であったり揶揄であったりという風に捉えてしまう場合がこちらにもあります。

この心理状況は、老犬介護や動物愛護の世界だけでなく、色々な場面で見られるようです。

これは敵意帰属バイアスという認知の歪みから起こる事象です。

敵意帰属バイアスとは

老犬と暮らしていると、その苦労ははかりしれません。

その中で、思いやりから相手が呟いた言葉を、否定的に捉えてしまうことはよくある事です。

足腰の弱った犬をカートや車椅子、その他の歩行補助器具で散歩させていると、「大変ですね」と声をかけられる。

相手は何の悪気もなく、むしろ肯定的に発した言葉である可能性がとても高いにも関わらず、当事者は、自分の愛犬を貶されたように感じる。

そういう時は敵意帰属バイアスという心理傾向にあるのかもしれません。

人間が物事を認知する時、必ずその人の感情が働きます。

この感情が大きく働くと認知から導かれる言動に合理性を欠く事が多くあります。

願望であったり、先入観であったり、恐怖であったり、人間の認知を歪ませるものはたくさんあります。

これは、誰しもに起こりうる事です。

これを認知バイアスといいます。

そのひとつが敵意帰属バイアスです。

心理的に「この人は自分を攻撃している」と認知の歪みが起こるのです。

これは良いとか悪いとか、感情論であるとかそういったものと違って「認知」の歪みであるという事をまず受け止めなければなりません。

敵意帰属バイアスがかかっている場合、説明したり納得して貰う事はとても困難です。

話はずーっと平行線になる場合が多くあります。

お互いに疲弊するだけですのでそういう場合は距離をとった方がお互いのためです。

自分の心理傾向をコントロールする

老犬介護をしている時の疲れの多くは、自分の心をコントロールできない事に関わる事が多く、自分の「こころ」をコントロールする事が、老犬介護を素敵に全うする大切な鍵になります。

まずはこの敵意帰属バイアスという心理傾向を知り、自分がこれに囚われたり、この心理傾向にある人を無理に説得しないといった回避方法をとり、心を疲れさせないようにしましょう。

認知のズレは個々の人間の育った環境や宗教、時代などによって必ず起こるものです。

心に余裕のある時は、自分と違う考えや認知のズレを容認できる人でも、心が弱っている時には過剰に反応してしまいます。

自分の心が弱っていると正しく認識し、それを受け入れる事も、自分の心理傾向をコントロールする上でとても大切な事です。

自分の心を疲れさせるものから距離をとる

平行線の議論の渦中にさらされる事ほど、ヒトの心を疲れさせるものはありません。

けれども、何故か人間は自らこの渦中に巻き込まれて行く傾向にあります。

それを回避するもっとも良い方法は距離を取る事です。

自分が攻撃されていると感じた時、または、相手に対して自分がどうしようもなく怒りを感じている時、それらの原因から距離を取る事は、心の疲弊を回避するもっとも有効な手段です。

これは逃げではありません。

有効な防御策です。

自分の心を守るために必要な事です。

きちんと向き合う事だけが人間としての正しい道筋とは限りません。

自分の心を守ること。

自分自身を大切にすることは、ひいては、自分の愛する相棒を守ることに繋がります。

何故なら彼らには「あなた」しか居ません。

あなたが向き合うべきは、目の前の大切な命であり、大切な相棒に理想の最後を迎えさせてあげるための行動を正しくとる自分です。

あなたが壊れてしまうことは、あなたの大切な相棒の存在さえも左右してしまうのです。

あなたの大切な存在を守るために、どうかご自愛いただきますよう。

頑張る自分を褒める

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老犬介護は経験上、自己肯定感をとても下げてしまう事が多くあります。

正解は他の誰ももっていません。

教えてもくれません。

本の中の理想の犬と飼い主の関係も、いつも羨ましく見ているお散歩友達の犬と飼い主の関係も、あなたと相棒にとっての正解ではありません。

あなたと、あなたの相棒の正解は、あなた方自身の中にあるのです。

あなたはまず、相棒の声をきちんと聞くべきです。

あなたの相棒は心からあなたに感謝しているでしょう。

そして最後の瞬間まで、あなたのために生きるのです。

そしてあなたは相棒の介護を頑張っている自分を褒めるべきです。

それは当たり前の事ではありません。

当たり前の事であれば、みんなできているはずです。

犬を介護する事に懐疑的な人々も、手伝ってくれない家族も。

当たり前でないからできないのです。

みんなが悪いのではなく、貴方が頑張っているのです。

自分を誇り、褒めるべきです。

貴方は、相棒にとって誇れる飼い主なのですから。