まぐログ!全力犬暮らし

大切な相棒……老犬との愛しい最期のひととき

ペットフードロスゼロという考え方

犬を飼う時に必要なお金は年々高騰していくように思います。

犬と暮らすことができるのはお金持ち。

おかしな話です。

お金持ちだけが犬を飼うことができるのならば、犬を飼うというのは憧れの高級車を持つのと同じようにステータスという事になってしまいかねません。

それは少し深掘りするとつまり犬というのは憧れで飼うものであり、人生どん底という人は犬を飼うべきではないということになります。

確かに、犬が最も幸福に暮らすためにはお金は必要です。

病院代や餌代、消耗品に至るまで、犬に充分な事をしてあげるには金銭面の充実はある程度必要な事かもしれません。

けれど、お金持ちでなければ、犬を飼う資格は全くないのでしょうか。

 

動物の権利とは何か

ホームレスの男性から動物の権利を守る団体が無理矢理犬を引き離す動画をTwitterでみたことがないでしょうか。

この団体は本当に犬の権利を守っているのでしょうか。

ホームレスはみんな犬を虐待するのでしょうか。

本当の愛を教えてくれるホームレスの飼い主と犬の深い絆の画像15選 | Petfun | 動物やペットに関する情報サイト

ホームレスと犬の写真を見ていると、私にはとてもそうは思えません。

彼らの間には確かな絆があるように見えます。

もちろん全てが全てではないでしょう。

けれども確かな絆を持って飼い主さんを全力で愛し、飼い主さんも犬を全力で愛し、そういう相棒の絆を無理矢理引き剥がす事は、果たして本当に犬の権利を守っていると言えるのでしょうか。

自分のごはんを我慢して犬に医療を受けさせる人は実際に居ますし、飽きたからという理由で愛犬を手放すお金持ちも実際にいます。

どちらのほうが、犬と暮らす権利を保有しているのか。

どちらのほうが犬の笑顔を守ることができるのか。

私自身も考えるところがたくさんあります。

一人暮らしで犬を飼う

うちは決して裕福ではありません。

しかし私は幼い頃から犬師匠の父の元で犬と暮らして来ました。

人生において犬の居ない時間のほうが短いのです。

まぐろさんと暮らしはじめた最初の頃は人並み以上の裕福さではあったのですが、今は人並みです。

それでも、まぐろさんと共にしっかりと歩んで来た自負があります。

うちの状況は動物愛護団体さんから見ると不適切なのかもしれません。

なにしろ金銭面は人並みな上に一人暮らしです。

それでも、元の職場の社長ご一家の手を借りてですが、しっかりと19年間まぐろさんと向き合いました。

もちろん失敗したことだってたくさんあります。

でも、一人だからこそできた事もたくさんあります。

もちろん、犬が居るからできなかった事もたくさんありますが、それでも、まぐろさんが居たから私は頑張れたし、まぐろさんが生活の中心でした。

一人暮らしの人間の元では犬の権利は守られないというのも、これも甚だ疑問です。

老犬を飼う人たちの暖かさ

老犬と暮らす人のほとんどが、協力的で暖かいと感じます。

もちろんファッションで犬を飼ったり無責任に途中で投げ出したりする人も多くいるのは事実です。

けれども、老犬の介護をする人たちは、とても暖かくてファミリーです。

犬を飼う人々は少なからずこの暖かさを持っているような気がします。

色々な創意工夫をし、自分の相棒に合った暮らし方と幸せを毎日一生懸命考えていらっしゃいます。

老犬を飼っている方は特に創意工夫の意欲が半端ありません。

私はそういう人こそ、犬を飼うのにふさわしいと思います。

人任せ他人任せで、失敗したら誰かのせい。

こういう人は犬を飼うのには全く向きません。

何か気持ちを分け合うということが犬と飼い主さんの間には絶対に必要だからです。

奪い合うとなくなるけれど分け合うとあまる

奪い合うとすぐになくなるけれど分け合うとあまるという感覚が私にはあって、本来、社会はそのようにバランスを取るものだと思っています。

相手の何かを奪わなくても、あなたはあなたの大切なモノを手に入れることができます。

世の中にはまだまだ使えるのに色々な事情で捨てられるモノがたくさんあります。

ある人にとっては必要ないかもしれませんが、ある人には必要かもしれません。

必要なものが必要な人に届く世の中が一番バランスの取れた世の中です。

本当に必要なものだけ、本当に大切なモノだけを周りに置く生活が理想のカタチなのだと思います。

捨てられるモノを掬い直す

昨今では人間社会で食品ロスゼロの活動が盛んになってきました。

日本人のもつ独特のもったいない精神は世界に誇るべきです。

まだまだ使えるのに捨てられる運命にあるものを掬い直し、欲しいけれど手が届かなかった人たちに手が届くようにすることは、誰も損をしない素晴らしい活動ではないかと思います。

ブランドイメージを守りたいという気持ちはあるかもしれません。

それはわかります。

誰しも失敗は認めたくないので、売れ残りや失敗商品や不良品をこの世から抹消したい気持ちもわかります。

けれども、不良品でも良いから欲しいと思う人たちの目の前で捨てることは、果たしてブランドのイメージを守る事になるのでしょうか。

私個人の見解としては、失敗は失敗として認め、リカバリーすることこそが潔く感じられます。

使用するのに問題のない不良品の値段を下げ、金銭的に余裕のない人たちの手に届きやすくすることは、これからの企業努力に必要な事だと思います。

ペットフードロスゼロという考え方

ペット用品の廃棄品がどのくらいの量存在して、どのような事になっているかという事は、私自身も考えた事がありませんでした。

ハーネスであったり、首輪であったりそういったものも、使えるけれども型落ちしたり、流行から外れたりして、使えないものがあるかもしれません。

それを知らせてくれたのがペットフード・ペット用品のcocoroさんです。

このショップさんの考え方にはとても賛同しました。

今まで腑に落ちなかった貧乏人は犬を飼うなという風潮とか、強い絆で結ばれた犬と人間が引き離される現状とかそういったものの解決策の一端を担うものであると確信したからです。

 

もちろん、この活動で充分だとは思いません。

けれども、金銭的な理由で少しでも笑顔になれない相棒同士を救う手立ての一端は担えると思うのです。