長い間自分の要望が伝わらなかったり、愛情や関心が注がれない場合や、禁止事項ばかりが雨のようにいつも降ってくる場合に吠える犬が居ます。
人間の子供でもいつもいつも禁止事項ばかりを言われるとフラストレーションが溜まります。
それが爆発するとカンシャクを起こしたようになります。
犬はやってはいけないことを理解できても、何故やってはいけないか理由までは理解できません。
そこにはやってはいけないこととやるべきことが有るだけです。
ですから飼い主さんが自分の事を全く理解せず、ボディランゲージもなく、ただひたすらに禁止事項ばかりを述べる時、犬は欲求不満によりカンシャクを起こして吠える場合があります。
犬は人間のために何かするのが大好き
これは犬と人間の関係の歴史的な事実にも基づくものですが、犬は人間のために何かするのが大好きです。
犬は人間の役に立つために行動し、褒められることを単純に喜びます。
犬に仕事をさせることは人間のエゴであると考えることもできますが、犬とオオカミは違う生き物です。
犬という生き物は存在が生まれた時から、人間の役に立つという特徴を付与されていた可能性が高いのです。
犬とオオカミの大きな特徴の違いはそこにあります。
犬は人間社会に溶け込み、人間の役に立つからこそ犬なのです。
あなたの相棒はあなたの役に立つことをとても喜びます。
ですからそこに主従関係など必要なく、信頼のおけるリーダーとの共同作業が必要なのです。
自分が自分のファミリーの中でどんな役割であるかが理解できない時、犬は欲求不満になります。
どんな役職であるかは犬には関係ありません。
どんな役割であるかが必要なのです。
犬が反抗的に吠える時、それはあなたがリーダーであるということを理解できなくて吠えるわけではなく、ファミリーの中で自分がリーダーであるあなたに何を求められているかわからないから吠えるのです。
犬師匠であるうちの父が育てた犬の多くは猟犬でした。
ですから、父は犬に何を望んでいるのか明確でしたし、犬たちも何をすれば父の役に立つのかを知ることはとても容易でした。
父は猟犬でない犬にもそうやってファミリーの中での役割を与えていました。
プードルのマミコには、私の子守をお願いしていましたし、母の犬であったラブリーには母を守るという仕事を与えていました。
ですから、私には、いっしょに暮らした犬にけたたましく吠える犬の記憶がありません。
父は犬にやってはいけないことを教えるよりも前に、やるべきことを教えていたのです。
父が、「静かに!」といって人差し指を口に当てた時、それは、吠えてはいけないという禁止事項ではなく、「吠えることをやめる」というやるべきことでした。
そして、側から見る私にとっては、それはやめなさいという命令ではなく、やめてくださいという依頼であったのです。
父は犬は犬らしくという信条の持ち主でした。
ですから犬が吠えることをやめるというやるべきことは、人間からのお願いであるべきなのです。
うちの犬たちは父と共同で何かするのが大好きで、とても幸せそうにいつも父と笑顔で居ました。
禁止事項ではなくやって欲しいことを犬に教える
犬は自分の意志で関連のあることを導き出すのはとても苦手です。
人間は犬がそういう動物であるということを忘れてしまいがちです。
そういう関係のまま、しつけをするとフラストレーションが溜まり、犬はフラストレーションで吠えてしまいます。
その関係を作らないようにするのはなかなか難しいのですが、ちょっとしたコツでその状況を少なくする方法があります。
犬に、禁止事項を伝えるのではなく、やって欲しい事を教えるのです。
オスワリと言ったら座ること、オテといったら前足を出すこと、マテといったら待つこと。
この3つは、とても長いこと人間と犬のやり取りで行われてきたことなので、とてもうまくできています。
これは芸ではありません。
何か危険な事を犬がやりそうな時、それを何故やってはいけないかが犬にはわからないので、やってはダメ!というよりも、オスワリ!と言って座らせたほうが誤解や勘違いが生まれにくいのです。
これは、禁止事項を伝えることよりもやって欲しいことを伝えて、結果、禁止事項をやらせないという方法です。
そして、オスワリをしたことをとても褒められたりオヤツを貰えたりすると、犬は注目されたいという欲求も満足させられ、心も満たされます。
犬のしつけに必要なのは奪うよりも与えること
犬のしつけの最も有効な人間側の心構えは
奪うよりも与える
ということです。
犬から「吠える」という行為を奪うのではなく、吠えることよりも優先できる何かを与えることが、犬のしつけを失敗しない有効な方法です。
この基本的な心構えは色々な場面で有効です。
そのためには、犬は人間との共同作業がたいへん好きな動物であるという認識と、その共同作業には犬によって様々な程度があるという認識が必要なので、自分の相棒に誠実な関心を寄せなければなりません。
そして、自分の大切なかけがえのない相棒に、誠実な関心を寄せることができない人は犬を飼うべきではありません。
犬を笑顔にできないので。